社団法人 東北地域環境計画研究会事務局


公開講演会の紹介
開発、環境そして防災
「岩手県立大学総合政策学部 教授」 首藤 伸夫
 日本の国土は38万平方キロある。利用可能な面積比率は1:4。約10万平方キロに1億2千万人が住んでいる。アメリカの国土面積は930万平方キロで比率は3:4。約700万平方キロに2億6千万人が住む。国土が25倍のアメリカでは、海岸沿いに道路を造る場合、浸食部分を見越して設計する。まねをしていいケースもあるが、海岸線長3万キロ、平均幅30キロ未満と細長い日本の国土で、アメリカのやり方をそのまま踏襲するのはそぐわない。降水量が多く、山地の浸食は世界平均の10倍という事情もある。

 日本は1960年、大いなる境目を迎えた。池田内閣が成立して所得倍増計画が打ち出され、三井三池争議の後、エネルギーでは石炭から石油への転換、建設資材では自然の材料から鉄、コンクリートへと変わっていった。電力は1955年当時、全国規模で火力430万キロワット、水力1,110万キロワット、合わせて1,540万キロワットだったものが、平成15年には東北電力だけで水力242万キロワット、火力1,110万キロワット、原子力217万キロワット、合計1,569万キロワットとかつての全国規模を上回るレベルに達した。経済の伸張に伴って、海への進出が始まり、名古屋市周辺では大規模な埋め立て事業が行われ、後に高潮被害などの災害を呼んだ。

 1959年の伊勢湾台風では死者5,012人、負傷者63,670人、被災者1,887,723人、破壊家屋177,574戸、流失家屋16,580戸、浸水家屋359,178戸、被害額1,365億円の大きな被害となった。干拓地は元の沖積平野に戻った。名古屋市はこの経験を元に、浸水は許しても、市民の命だけは助かる空間を確保し、耐水構造のある住宅を建てられるよう、地区別の指標を折り込んだ建設規制を設けた。

 海への進出とともに河川では、流れ込む水を早く排水させるように、コンクリートで固められた。コンクリート化は、従来工法では外力に弱かったという事情もある。しかし60年代以来の大規模開発で、至るところに自然破壊が目立つようになって、河川については自然河川の姿を取り戻せという声が高まり、自然らしさと強度を併せ持った隠し護岸工法や粗朶(そだ)工法、木工沈床工法など古くからの工法が組み込まれるようになった。

 自然らしさを重視する動きは、河川にとどまらなかった。海岸浸食が進んだ伊勢湾以外でも、60年代の海岸護岸の直接防御から70年代近くの突堤による沿岸漂砂制御、80年代の離岸堤による波・漂砂制御へと改良されていった。考え方としては堅く受け止めると逆効果であることを知り、柔構造部分を採り入れて、美と防災効果を両立させようという発想である。

 災害の発生しやすい急斜面対策にしても、宮古市のように景観に配慮した施策を採用、大島の波浮港など全国的に景観を考えた崖処理工事が進んだ。防潮林の抑止効果については、下生え植生の組み合わせ、樹高の関係を比較検討されるようになった。海岸線の構造物は護岸堤に限らず、一般建造物についても「無骨でない構造物」が求められ、2003年7月には「美しい国づくり大綱」が打ち出され、「美しい景観は国民共通の財産」が唱えられた。

 テトラポッドの処理、無表情なコンクリート護岸への石張り、本四架橋の橋脚類に周囲の景観となじむ色の選定、高知・桂浜の擬岩工法、見える離岸堤に替わる、見えない人工リーフの設置などが各地で行われた。治水事業では河川の氾濫を積極的に認め、ある程度の河川水の逆流を考慮に入れる考え方も出てきた。北上川下流域の「水山」や大井川扇状地の「舟形屋敷」、宮崎県の「露堤」などである。多自然型川づくりが叫ばれ、北上川河口付近の富栄養化した河川水対策として、葦に窒素を吸収させる試みが実施されている。秋田の玉川ダムでは毒水の中和対策が行われた。ハード面だけでなく「開発と安楽」「防災と安全」「環境と安心」の三つの「安」をどうバランスさせるかという、ソフト対策も重視されるようになった。現在、環境と防災面で第一に考えるべきことは、外力を許容しながらの土地利用策をどう設定するかだろう。次に大事なのはソフトとハードの両面作戦だと思う。




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