社団法人 東北地域環境計画研究会事務局


公開講演会の紹介
新たな森林文化の創造
「山形大学名誉教授」 北村 昌美
「初めに」
 森林と人の関係を見直す考えが、最近、国民の間で急速に広まろうとしている。そういう状態をもたらした原因の一つは、いうまでもなく林業の衰退である。人間の生活が近代化していくにつれて、それが環境の汚染や破壊をもたらすという不安もますます顕著になってきた。環境という視野の中に当然、森林が入る。その結果、単なる林業という範囲を超えて、森林と人間の関係を検討し直すことが、強く要請される時代を迎えたのである。

「人と森林の歴史」
 人は初め森林をどのように意識していたのだろうか。森林からの恩恵に気づく前に、抱いていたのはおそらく「おそれ」の思いであろう。しかし次第に人は「おそれ」の気持ちだけで森林を見ることは少なくなっていった。初め遠慮がちながらも森林を侵食して生活空間を広げ、同時に森林からの恩恵を享受するようになったのである。
 著しい森林の破壊をもたらしたのは、弥生時代以降の農耕地の拡大である。事実、ヨーロッパでは大開墾時代を迎えて、森林は後退する一方であった。ようやくそれに歯止めがかかったのは14,15世紀の頃だという。ただし農耕の方法が日本とヨーロッパでは異なるので、当然、森林の後退にも速度にも違いが生じる。その結果として生まれたのが今日見られるような彼我の自然景観の違いなのである。
 しかし農耕地の拡大による森林の破壊は、決して決定的なものではなかった。農業も牧畜もともに土地生産業である以上、森林を破壊し尽くしては自分自身が成り立たなくなるのである。それに対し工業や鉱業による森林の破壊は容赦なかった。建築材や造船用材の需要も鉱工業の発達とともに増大したので、先進国になるほど森林の破壊と後退が進んだのである。中でもギリシャ、イタリア、スペインなど地中海沿岸の諸国は、極端な降水量不足のために、森林の回復を期待することができず、今日なお当時の無惨な姿を残す地域が少なくない。
 当然の成り行きとして、失われた森林を回復させようという要求が生まれる。ヨーロッパでは既に14世紀にトウヒが植栽されている。明らかに森林の回復を目指したのは18世紀以降と見てよいであろう。森林を単に回復させるだけではなく、木材を継続的に生産できる「長期計画」の技術まで生み出したのである。
 森林回復の先進地は、森林の衰退に強い危機感を抱き、しかも風土的な条件に恵まれている中部ヨーロッパ、特にドイツであった。ドイツを中心に発達した林業技術は、明治になって日本にも導入され、今日まで日本林業にとって主導的な役割を果たしてきたのである。
 ただし最近の人と森林の関係は大きく変貌している。生産一辺倒という考え方から脱して、森林の公益的機能やレクリエーション機能まで注目され、重視されるようになった。

「森林の公益的機能」
 公益的機能の具体例として保安林の種類は極めてわかりやすい。主要なものとして、いわゆる水源涵養機能、国土保全機能、環境保全機能などを挙げることができる。ちなみに日本の保安林の種類は17を数え、全森林面積の3分の1強に相当、しかもそのうちの3分の2が水源涵養保安林である。
 保安林が森林のもともと備えている機能を対象として指定されることに対し、保健保安林と風致保安林の場合はかなり性格が異なっている。保健・風致保安林が保有する機能は、森林に対して人が要求しない限り発揮されないのである。従ってこれらの機能は、公益的機能というよりも保健休養機能や文化的機能に属していると考えるのがふさわしいであろう。

「森林文化と森林文化社会」
 人が望むなら森林がそれに応えてくれるというこの事実が、森林を考えるうえで決定的な鍵となる。木材生産の場合も公益的機能の場合も、特に意識することがなくても、森林が人の要求を満たしてくれていた。人はこれらの機能がよりよく発揮されるよう、技術を加えさえすればよかったのである。しかし今後は、人が森林に何を望むかを考えることが、まず重要なのである。要求に応えてくれる過程で、森林と人との間には次々と文化的な関係が生まれるのである。この関係こそ「森林文化」にほかならない。
 夏休みなどにヨーロッパの人々がこぞって他の地方に出かけるのは、普段と違った風景に巡り会い、そこを歩くことによって楽しむといってよい。こういう生活文化が育っているからこそ、西欧では「農村で長期休暇を」というグリーンツーリズムがすんなりと受け入れられるのである。
 さらにドイツでは「わが村は美しく」という運動が盛んで、コンクールも行われている。これもヴァンデルングを通じて風景を楽しくという、生活文化があって、初めて定着させ得るものであろう。

「森林に対する新たな要請」
 かつて木材生産機能や各種の公益的機能などに視線が集まっていた頃に比べて、森林に対する人々の要請は急速に増大している。公益的機能への期待にしても、単に安全な環境を守るためという範囲を超え、できるだけ快適な環境を創造するといった内容に変わってきている。森林に対する新たな要請の一つが生物多様性の保全である。生物多様性は人類の生存基盤である自然生態系を健全に維持するとともに、生物資源を持続的に利用していくための基礎となる。
 最近の大きな問題は地球温暖化である。森林は二酸化炭素を吸収し、炭素として貯蔵することによって、温暖化防止に大きく貢献している。これは従来、知られなかった公益的機能の一面といえよう。森林が実際に人間の環境によい影響を与えていることについては、現在、次第に明らかにされつつある。わが国でもいわゆる森林浴が盛んに行われるようになり、そのための適地も各地で選ばれている。

「森林文化社会の創造に向けて」
 これまで述べてきた内容は、決して従来の林業や生産行為を否定するものではない。従来の林業を包括しながら、さらに文化的領域まで範囲を広げ、国民の増大する要求に応えることが、森林に関わる人々の責務となってきているのである。いわば新たな林業像と、それに基づく森林文化社会の創造が求められていると考えるべきであろう。
 新たな森林文化社会の創出に至る道は決して平坦なものとは思えない。何といっても森林に対する国民の理解が不十分である。そういう状況を打破するために、なすべきことは何か。おそらくその第一は、かつての近代科学導入以前に見られたような、住民と自然との隔てのない関係を何とかして復活することである。それとともに大切なのは、森林に関わる人々自身が、森林に対する強い愛着と、未来への希望を持つことであろう。



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