早池峰山の特異な地形とその成因 |
「岩手県立大学総合政策学部 教授」 米地 文夫 |
早池峰山の象徴は、まずハヤチネウスユキソウ、蛇紋岩、そして「残丘」といわれてきた。宮沢賢治の詩にも多く取り上げられている。北上高地の準平原に取り残された丘だと言われる。
かつてわれわれの大先輩は、「切峰図面」という地形図の上に風呂敷をかぶせるような方法で浸蝕前の地形を推論し、この山は日本の代表例だとされ、多くの人々もそう思いこんでいた。だが実際の早池峰山は、他の残丘と比べてみても、高すぎる、大きすぎる、長い山稜はおかしい、南側が急斜面過ぎる、谷も大きい…など、地形的な疑問の多すぎることから研究が進んでいる。
早池峰山は、海洋プレートと大陸プレートのぶつかり合いでできているという点で、ヒマラヤに似た構造山脈である。北上高地は、大陸プレートの一つ、いわゆる「北米プレート」のへりにくっついている。日本列島の東側に海溝がある。ここで海洋プレートが大陸プレートに潜り込む。その際のひずみで地震の発生することが知られているが、すんなりと潜り込むわけではなく、実際は複雑で、海洋プレートの上部が削り取られたり、大陸プレートの方から持ち込まれたりする。こうしてたまったものを「付加体」という。北上高地の北部がこれに当たることがわかってきた。これに対する北上高地の南部、これがナゾだ。中国揚子江方面、あるいはオーストラリヤからだとか、いろいろ推測されている。いずれ南の古大陸の断片が、ざっと1億年ほど以前にはるばると流れ着き、両者が衝突し、たたみこむように、のし上がり、潜り込む。この変動によって構造的な山並みができて、早池峰山はかくも高くそびえ立ったものと見られる。つまり、早池峰山はもともと高かったものであり、削り残されて高いものではないということである。
蛇紋岩が硬いから削り残されて残丘になったという説もあるが、普通、残丘(モナノドック)といわれるものは、種山ヶ原を思い起こしたら分かるように 、早池峰のような堂々たる山容にはならない。
早池峰と薬師との間に大きな溝、構造的な谷がある。二つの塊がぶつかり合う層の切れ目、断層である。早池峰の蛇紋岩と薬師の花崗岩、この層に沿って削られて構造的な谷ができた。小田越である。水が削って谷となり急坂の先が峠となるのが普通なのに、ここは峠と呼ばれない。ここは不思議な「風の谷」なのである。 |