社団法人 東北地域環境計画研究会事務局


公開講演会の紹介
南部桐とその活用
「県特用林産振興連絡協議会 参与」 八重樫 良暉

(1)南部桐は岩手県のブランド商品
 江戸時代後期には、久慈港から深川木場に桐材が出荷されていた。当時、江戸の人口は百万を超え、下駄の需要は関東一円からの桐材集荷では不足したのであろう。

 明治45年山林局発行の「木材ノ工業的利用」に、木場では山形・秋田・福島産の桐材も、南部桐と称して取り扱っていたという。

 その理由として、南部桐は木目が太くアクが少なく、乾燥すると銀白色の光沢があり、下駄材に最も適し優れていると評価している。

 また海岸の風強きところに生ずるので、あたかも筍の如き形状があるともいう。

 当時1石(0.28立方メートル)から、およそ160足の下駄製造が可能で、上面天柾の木目数によって、6,7本は23銭、10本は40銭、15本は90銭〜1円という価格差があった。したがって、丸太1石当たり、15円内外の原木で36〜160円の製品がつくられたことになる。

 桐材は他の材木に比べ高価に取り引きされていた。後年農村凶荒などには、山村の副業として桐植栽奨励があり、戦後も1億円も夢じゃないなどと、桐植栽の勧めが生まれている。この高値を支えていたのは下駄の需要であった。

(2)統計から見る桐材活用の推移
 国内の桐材需要は、1973年(昭和48年)頃は国内生産と輸入量はほぼ半々であった。以後国産材は減少の一途を辿り、現在は1%以下となり、桐材の需要はむしろ増加の傾向を示している。

 桐の植栽は1959年(昭和34年)と1974年(昭和49年)の2度のピークがある。このピークの背景には、桐材価格の高騰があった。1985年(昭和60年)以後は、植栽ゼロの県が多数見られ、岩手県において一時420ヘクタールも植えられたが、1980年(昭和55年)以降は、植栽量ゼロの年度が見られる。

 桐材の用途別消費動向は、戦後、下駄に代わって家具類の需要が首位を占めていたが、近年は減少を辿り建材が上昇している。

 建材需要は以前に統計にも見られなかったが、近年建材店には壁面用などとして、中国桐材で長さ45センチ、幅13.5センチ、厚さ2.0センチのあいじゃくり。腰板材が販売され、価格は3.3平方メートル(1坪)当たり12,000円内外である。その他、床板などもあり、これらの需要が増加していることが考えられる。

(3)南部桐の建材への活用
 桐材の高価であったことは、下駄需要の減少とともに昔の夢となった。桐材の特性として箪笥などに見られるように、乾燥した板は、伸縮による狂いが少なく外部からの湿気の侵入を防ぎ、内部の湿度を調節する機能がある。わが国のような高温多湿の風土にとっては優れた容器である。

 人間の住む家も一つの容器であって、桐材の建材活用は住み良い住宅づくりの一助としたいものである。桐材の美しさは木目の見える白木で用いることであり、インテリアとしての価値を南部桐によって可能とする。

 かつて、明治30年頃から中国桐材が輸入されているが、その特性として材質が堅く油気がなく、軟らかさ弾力性に乏しい。さらに木目がボンヤリして光沢がなく、乾燥すると目割れを生ずるので下駄材としては、外観的に美しさを欠くといった評価があった。

(4)桐の植栽を考える。
 1980年(昭和55年)当時までは、桐立木1立方メートルが70,000円で取り引きされた頃である。同時に輸入桐材が17万立方メートルとピークを迎えている。以来植栽が減少の一途を辿る。

 古来女子が生まれたとき、桐を植えるという習慣があった。嫁入りを想定し、桐箪笥を作るためであるが、因みに東京箪笥一棹に要す桐の板材は、およそ0.42立方メートルである。これを丸太換算すると、末口径30センチ内外の長さ2メートル(材平均0.18立方メートル)の丸太6本を必要とする。20年生立木で2本得られるとすれば、3本の立木で約1.08立方メートルなので、製材歩留り50%として、ほぼ0.42立方メートルとなる。

 これは「女子が生まれたら桐3本を植える」が正解なのである。昨今は嫁入り道具として箪笥の必要性は失われている。
 植栽の減少原因として、本県において1972年(昭和47年)頃に発見された桐の難病である、キリのテングス病(病原はファイトプラズマ)の蔓延がある。本病の発生は罹病種根の苗木によること、吸汁昆虫クサギカメムシ等による媒介が考えられ、植栽ピーク時における、罹病種根の導入及び大面積植栽による媒介昆虫の餌木の増加による大発生、さらに不適地への植栽が考えられている。現在本病の防除法は確立されていない。

 これらの反省から植栽に当たっては、周辺に罹病の少ないところ、環境条件の適地を選び単木的、あるいは並木状に、庭の片隅に2、3本山林の入り口に5、6本という桐栽培を勧めたいものである。

 その目標とし、20年後にはその桐材を家の増改築に活用するとしなければならない。新たな目標を設定することにより、その手段、方法も変化することは当然である。



閉じる