社団法人 東北地域環境計画研究会事務局


公開講演会の紹介
砂漠の神と森の神〜アフガン問題に絡めて
「元岩手日報編集局次長兼編集委員室長」 千葉喜秋
 私は1977年にシルクロードを旅する機会がありました。ソビエトによるアフガン侵攻は、この2カ月後でしたから当時はまだ平和でした。バーミヤンの渓谷の絶壁に刻まれた高さ35メートルと53メートルの巨大石仏は圧倒的な眺めでした。小さい方の石仏でさえも岩手県庁の高さとほぼ同じですから、大きさが想像できると思います。2001年3月、この仏教遺跡がタリバンの砲撃で破壊されました。石仏の破壊はタリバンが最初ではなく、今回よりも遙か昔から、頭部は既に破壊されています。今であれば砲撃で簡単ですが、最初の破壊は大変だったと思います。造る方も造る方ですが、ぶち壊すのにもすごい執念と力が要ります。

 イスラム教では偶像崇拝は非常に重い罪になります。ですからタリバンの行為は暴挙とは言い切れない。偶像化は神に対する重大な冒涜であり、同じイスラム教にとどまらず異教徒の偶像に対しても厳しい目を向ける。この一元論的宗教観が砂漠に生まれた神、イスラム教の特徴です。

 環境が人間の考え方に大きな影響を与える。和辻哲郎は著書「風土−人間的」(1935)でユーラシア大陸をモンスーン、砂漠、牧場の三つのタイプに分類しました。砂漠のような過酷な環境下では、優れたリーダーにつかなければ、無事、生きていくことはできない。リーダー選びは優れた者、より優れた者ヘと、少数者に収斂していく傾向がある。これが宗教へ反映されると、唯一絶対神への帰依になっていく。シルクロードは降水量の少ない、青い空と褐色の大地だけ。色彩的に貧弱な状況下では多様な見方は生まれにくい。

 一方、モンスーン地帯の神はというと、緑豊かな森で誕生しています。森は自然環境が良好で定住型の落ち着いた、そこそこの暮らしが可能であり、多元論的発想が出てくる土壌といえます。多元論を宗教に置き換えると多神論になるわけです。神道でいう神にはそれぞれの神格と役割分担が定められた天つ神、国つ神など八百万(やおよろず)の神々がいて、さらに田の神、水の神、山の神、川の神などもいる。彼らは多元論的な風土から誕生しました。鰯の頭も信心から−は多神論的な発想といえるでしょう。

 私はここで砂漠の神の方がいい、森の神の方がいいと、一元論的に片付けるつもりはありません。指摘したいのは今回の同時多発テロで引き起こされたキリスト教社会とイスラム教社会との緊張は、砂漠の神同士の対立から生じているということです。この対立は東西の冷戦の終結を機に激しくなり、今は超大国アメリカによる途上国への独善的な政治、軍事干渉の中で先鋭化しております。さらに南北の経済格差を背景により深刻になっていると思います。モンスーン地帯の人々はこと信心についてはルーズだと見られていますが、地球規模で厳しい宗教対立が起きている現在、多くの神々を共存させるモンスーン地帯の大らかな宗教観の方が救いになると思います。 



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